約 11,571 件
https://w.atwiki.jp/cloaks/pages/53.html
武将城、情報 ■ 洛陽(0,0) - 曹操危うし 包囲大手:砂漠の狐(曹操攻略) ■ 許昌(88,88) - 砂漠vs曹操 隣接:砂漠の狐、曹操攻略 ■ 襄陽(88,-88) - ゼロワン優勢 包囲大手:ゼロワン(不死鳥、RosenKreuz) ■ 鄴(-88,88) - チョロQ完勝 完全包囲:チョロQ ■ 成都(-88,-88) - 接戦ムード 隣接:りらっくま、grentai ■ 建業(220,0) - 大混戦 隣接:なし ■ 長安(-220,0) - BLUE圧倒! 隣接:BLUE .
https://w.atwiki.jp/orifusai/pages/43.html
208年(建安13年) 司隷 河南尹 河内郡 河東郡 弘農郡 京兆尹 馮翊郡 扶風郡 豫州 潁川郡 皇帝:劉協? 司空・車騎将軍曹操 汝南郡 梁国 沛国 陳国 魯国 冀州 魏郡 丞相:曹操 鉅鹿郡 常山国 中山国 安平国 河間国 甘陵国 趙国 勃海郡 [亠兌]州 刺史:司馬朗? 陳留郡 東郡 東平国 任城国 泰山郡 済北国 山陽郡 済陰郡 徐州 刺史:臧覇→孫権 東海郡 琅邪国 彭城国 広陵郡 下[丕β]国 青州 刺史:孫観?→劉琮? 済南国 平原郡 楽安国 北海国 東莱郡 済国 荊州 曹操は大軍を率いて荊州に侵攻。直前に劉表?は病死し、劉琮?が跡を継ぐ。(魏書・武帝紀) 劉琮は曹操に降伏するが、劉備は人民を引き連れて逃走し、孫権と組む。(魏書・武帝紀) 12月、曹操は周瑜?率いる呉の水軍に敗れる。(魏書・武帝紀) 牧:劉表? 刺史:劉琮?(曹操)、劉琦?(劉備) 南陽郡 南郡 劉備は長坂で曹操軍に追いつかれて妻子を捨てて逃げる。(蜀書・先主伝) 江夏郡 劉備はからくも夏口まで逃げ、関羽?・劉琦?と合流。諸葛亮を派遣して孫権と組む。(蜀書・先主伝) 周瑜?は赤壁で曹操を破り、その軍船を焼く。(蜀書・先主伝) 太守:劉琦? 零陵郡 太守:劉度? 桂陽郡 太守:趙範? 武陵郡 太守:金旋? 長沙郡 太守:韓玄? 揚州 刺史:劉馥?→ 九江郡 曹操は蒋済?が守る合肥に張喜?を援軍として派遣し、孫権と戦わせた。(魏書・武帝紀) 丹陽郡 廬江郡 有力者:雷緒? 会稽郡 呉郡 予章郡 益州 牧:劉璋? 漢中郡 巴郡 広漢郡 蜀郡 [牛建]為郡 牂牁郡 越[山雋] 益州郡 永昌郡 広漢属国 蜀郡属国 [牛建]為属国 涼州 牧:韋康? 隴西郡 漢陽郡 武都郡 金城郡 安定郡 北地郡 武威郡 張掖郡 酒泉郡 敦煌郡 張掖属国 張掖居延属国 并州 上党郡 太原郡 上郡 西河郡 五原郡 雲中郡 定襄郡 雁門郡 朔方郡 幽州 [シ豕]郡 広陽郡 代郡 上谷郡 漁陽郡 右北平郡 遼西郡 遼東郡 太守:公孫康? 玄菟郡 楽浪郡 遼東属国 交州 南海郡 蒼梧郡 太守:呉巨? 郁林郡 合浦郡 交趾郡 太守:士燮? 九真郡 日南郡
https://w.atwiki.jp/genso3594/pages/103.html
呂翔(りょしょう) 字は不明 (生没年不詳) 袁尚の部下。 袁紹死後、曹操が鄴から離れ(南の劉表を攻めるためと見せかけた)、冀州の覇権争いを始めた袁譚と袁尚だったが、袁譚は敗れ袁尚は袁譚を包囲した。 袁譚は曹操に降伏して救援を求めた。 袁尚は曹操が南下すると聞き、袁譚の包囲を解いて鄴に戻る。 そんな時に袁尚の配下だった呂曠と呂翔は、袁尚から叛いて軍勢と共に曹操に降伏した。
https://w.atwiki.jp/sangokushi11/pages/891.html
条件シナリオ開始年月が190年1月以前 董卓勢力、曹操勢力、袁紹勢力が全て存在している 以下の何れかを満たす現在年月が190年4月以降 虎牢関が董卓勢力の支配拠点ではない 董卓勢力後漢皇帝を擁立している 長安、洛陽を支配している 李儒が配下にいる 董卓の所属都市は洛陽である 曹操勢力、袁紹勢力との友好が何れも険悪である 曹操勢力、袁紹勢力の何れとも同盟を結んでない 曹操勢力と袁紹勢力が同盟関係にある 董卓が以下の条件を満たしている曹操、袁紹とは有縁関係がない 行動済でない 李儒が行動済でない 後漢皇帝が生存しており、所属都市が長安ではない 結果董卓がCOM勢力の場合、長安に遷都。 董卓がプレイヤー勢力の場合は、遷都するかしないかを選択。遷都したとき後漢皇帝と洛陽所属の全武将が長安に移動 「漢室重視」の武将の忠誠が低下 洛陽の都市圏にある金、兵糧、兵士、兵装を全て長安に移動 洛陽の耐久、治安が0になる 洛陽の開発地にある内政施設が全て撤去 洛陽の都市圏にある罠や軍事施設が全て撤去 洛陽の都市圏で、董卓勢力の支配拠点は全て空白化 長安の金+30000 遷都しないとき変化なし
https://w.atwiki.jp/san_ds3/pages/128.html
正直キツい。内政や、人材登用なんかしていると曹操が兵隊わんさか連れてやって来る。兵糧奪って城に籠るor曹操部隊に集中攻撃してしのぐしかないか。晋陽をエサにしておびき出すとかだな。 - 袁紹 2012-02-04 20 03 33 曹操の用兵術が最低。鄴に攻撃すること三回。未だ奪えず。張遼処断。10万近く兵を消失。変わって袁紹は兵力18万。下ヒを奪っている。三顧の礼苦労したよ。 - 予州牧、皇叔、左将軍劉備 2013-02-09 11 21 42 生存方法。劉表と同盟せず、作敵をかけられるだけかけて出陣。回収後、主な武将に分ける。そうしていると兵力は10万を超える。そのあと襄陽に行き、速攻で体力減らした関羽で黄忠、サイボウらを一騎打ちで撃破。箕形の劉表は大半が残る為、一斉でいけば被害も少ない。戦闘後、ロードを繰り返して黄忠とかを降伏させ、襄陽に置けば、退却した劉表の防壁となってくれる。 - 劉備 2013-02-09 11 31 28 曹操の兵力が分散しまくり袁紹で領土分断して曹操処断 - 名無しさん 2013-05-02 10 11 30
https://w.atwiki.jp/seikouudoku/pages/76.html
偽忠狼心(ぎちゅうろうしん) 一 曹操を搦(から)めよ。 布令(ふれ)は州郡諸地方へ飛んだ。 その迅速(じんそく)を競(きそ)って。 一方―― 洛陽(らくよう)の都をあとに、黄馬(こうば)に鞭(むち)をつづけ、日夜をわかたず、南へ南へと風の如(ごと)く逃げて来た曹操は、早くも中牟県(ちゅうぼうけん)(河南省(かなんしょう)中牟・開封(かいほう)―鄭州(ていしゅう)の中間)――附近までかかっていた。 「待てっ」 「馬を降りろ」 関門へかかるや否(いな)、彼は関所の守備兵に引きずり降ろされた。 「先に中央から、曹操という者を見かけ次第召(め)し捕(と)れと、指令があった。其方(そのほう)の風采(ふうさい)と、容貌(ようぼう)とは人相書に甚(はなは)だ似ておる」 関(せき)の吏事(やくにん)は、そう言って曹操が何と言いのがれようとしても、耳を貸さなかった。 「とにかく、役所へ引ッ立てろ」 兵は鉄桶てっとう)の如(ごと)く、曹操を取り囲んで、吟味所(ぎんみしょ)へ拉(らっ)してしまった。 関門兵の隊長、道尉(どうい)陳宮(ちんきゅう)は、部下が引っ立てて来る者を見ると、 「あっ、曹操だ!吟味にも及ばん」と、一見して言(い)き断(き)った。 そして部下の兵を犒(ねぎら)って彼が言うには、 「自分は先年まで、洛陽に吏事おしておったから、曹操の顔も見覚えている。――幸いにも生擒(いけど)ったこの者を都へ差し立てれば、自分は万戸侯(ばんここう)という大身(たいしん)に出世しよう。お前たちにも恩賞を頒(わ)かってくれるぞ。前祝いに、今夜は大いに飲め」 そこで、曹操の身はたちまち、かねて備えてある鉄の檻車(かんしゃ)の抛(ほう)りこまれ、明日にも洛陽(らくよう)へ護送して行くばかしとなし、守備の兵や吏事(やくにん)たちは、大いに酒を飲んで祝った。 日暮れになると、酒宴もやみ、吏事も兵も関門を閉じて何処(どこ)へか散ってしまった。曹操(そうそう)はもはや、観念の眼(まなこ)を閉(と)じているもののように、檻車の中に倚(よ)りかかって、真暗(まっくら)な山谷の声や夜空の風を黙然(もくねん)と聴いていた。 すると夜半に近い頃、 「曹操、曹操」 誰か、檻車に近づいて来て、低声(こごえ)に呼ぶ者があった。 眼をひらいて見ると、昼間、自分を一目で観破(みやぶ)った関門兵の隊長なので、曹操は、 「何用か」 嘯(うそぶく)如(ごと)く答えると、 「おん身は都に在(あ)って、董相国(とうしょうこく)にも愛され、重く用いられていたと聞いていたが、何故(なにゆえ)に、こんな羽目になったのか」 「くだらぬ事を問うもの哉(かな)。燕雀(えんじゃく)なんぞ鴻鵠(こうこく)の志(こころざし)を知らんやだ。――貴様(きさま)はもうおれの身を生擒(いけど)っているんじゃないか。四の五の言わずと都へ護送して、早く恩賞にあずかれ」 「曹操。君は人を観(み)る明(めい)がないな。好漢(こうかん)惜(お)しむらく――というところか」 「なんだと」 「怒り給(たも)うな。君が徒(いたず)らに人を軽んじるから一言酬(むく)いたのだ。かくいう自分とても、沖天(ちゅうてん)の大志を抱いておる者だが、真に、国の憂(うれ)いを語る同志もない為(ため)、空(むな)しく光陰の過ぎるのを恨(うら)みとしておる。折から、君を見たので、その志を叩(たた)きに来たわけだが」 意味ありげな言葉に、曹操も初めの態度を改めて、「然(しか)らば言おう」と、檻車の中に坐(すわ)り直した。 二 曹操は、口を開いた。 「なるほど董卓(とうたく)は、貴公(きこう)の言われたようにこの曹操を愛していたに違いない。――しかしそれがしは、遠く相国(しょうこく)曹参(そうさん)が末孫(ばっそん)にて、四百年来、漢室(かんしつ)の禄(ろく)をいただいて来た。なんで成り上がり者の暴賊董卓ごときに、身を屈(くっ)すべいや」 と語気、熱をおびて来て―― 「如(し)かず国の為、賊を刺し殺して、祖先の恩を報ずべしと、董卓の命を狙(ねら)ったが、天運いまだ我(われ)に非(あら)ず――こうして捕われの身となってしまった。なんぞ今さら、悔(く)いる事があろうか」 白面細眼(はくめんさいがん)、自若(じじゃく)としてそう言う容子(ようす)、さすがに名門の血すじをひいているだけに、争い難い落ち着きがあった。 「…………」 黙然――やや暫(しばら)くの間、檻車の外にあってその態(てい)を見ていた関門兵の隊長は、 「お待ちなさい」 言うかと思うと、檻車の鉄錠(てつじょう)を外(はず)して、扉を開き、驚く彼を中から引き出して、 「曹操どの。貴君(あなた)はどこへ行こうとしてこの関門へかかったのですか」 「故郷――」 曹操は、茫(ぼう)とした面持(おももち)で、隊長の行為を怪しみながら答えた。 「故郷の譙郡(しょうぐん)に帰って、諸国の英雄に呼びかけ、義兵を挙げて再び洛陽へ攻め上り、堂々、天下の賊を討(う)つ考えであったのだ」 「さもこそ」 隊長は、彼の手を曳(ひ)いて、密(ひそ)かに自分の室(へや)へと請(しょう)じ、酒食を供して、曹操のすがたを再拝した。 「思うに違(たが)わず、御辺(ごへん)は私の求めていた忠義の士であった。貴君(あなた)に会ったことは実に喜ばしい」 「では御身(おんみ)も董卓に恨(うら)みのある者か」 「いや、いや、私怨(しえん)ではありません。大きな公憤(こうふん)です。義憤(ぎふん)です。万民の呪(のろ)いと共に憂国(ゆうこく)の怒りをもって、彼を憎み止(や)まぬ一人です」 「それは、意外だ」 「今夜がぎり、てまえも官を棄(す)てて此関(ここ)から奔(はし)ります。共に力を協(あわ)せて、貴君(あなた)の赴(ゆ)く所まで落ちのび、天下の義兵を呼び集めましょう」 「えっ、真実ですか」 「なんで噓(うそ)を。――すでにこう言う間に、貴君(あなた)の縄目を解(と)いているではありませんか」 「ああ!」 曹操(そうそう)は初めて、回生(かいせい)の大きな歓喜を、その吐息(といき)にも、満面にも現わして、 「して、貴公はいったい、何と仰(お)っしゃる御仁(ごじん)か」 と、訊(たず)ねた。 「申しおくれました。自分は、陳宮(ちんきゅう)字(あざな)を公台(こうだい)という者です」 「御家族は」 「この近くの東郡(とうぐん)に住まっています。すぐそこへ参(まい)って、身仕度を代え、すぐさま先へ急ぎましょう」 陳宮は、馬を曳(ひ)き出して、先に立った。 夜もまだ明けないうちに、二人は又、その東郡をも後にすてて、ひた急ぎに、落ちて行った。 それから三日目―― 日夜わかたず駆け通して来た二人は、成皐(せいこう)(河南省・衛輝(えいき)附近)のあたりを彷徨(さまよ)っていた。 「今日も暮れましたなあ」 「もうこの辺まで来れば大丈夫だ。――だが、今日の夕陽は、いやに黄いろッぽいじゃないか」 「又、蒙古風(もうこかぜ)ですよ」 「あ、湖北(こほく)の沙風(さふう)か」 「どこへ宿(やど)りましょう」 「部落が見えるが、この辺はなんという所だろう」 「先程の山道に、成皐路(せいこうじ)という道標が見えましたが」 「あ。それなら今夜は、訪ねて行くよい家があるよ」 と、曹操は明るい眉(まゆ)をして、馬上から行く手の林を指さした。 三 「ほ、こんな辺鄙(へんぴ)の地に、どういうお知り合いがいるのですか」 「父の友人だよ。呂伯奢(りょはくしゃ)という者で、父とは兄弟のような交(まじ)わりのあった人だ」 「それは好都合ですな」 「今夜はそこを訪れて一宿を頼もう」 語りながら、曹操と陳宮の二人は、林の中へ駒(こま)を乗り入れ、やがてその駒を樹(き)に繋(つな)いで、尋ね当てた呂伯奢の門をたたいた。 主(あるじ)の呂伯奢は驚いて、不意に客を迎え入れ、 「誰かと思ったら、曹家(そうけ)の御子息じゃないか」 「曹操です。どうも暫(しばら)くでした」 「まあ、お入りなさい。どうしたのですか。いったい」 「何がです」 「朝廷から各地へ、あなたの人相書が廻(まわ)っていますが」 「ああその事ですか。実は丞相(じょうしょう)董卓(とうたく)を討(う)ち損(そん)じて逃げて来た迄(まで)の事です。私を賊と呼んで人相書など廻しているらしいが、彼奴(きゃつ)こそ大逆(たいぎゃく)の暴賊です。遅かれ早かれ、天下は大乱となりましょう。曹操も、もう凝(じっ)としてはいられません」 「お連れになってる人は誰方(どなた)ですか」 「そうそう、御紹介をするのを忘れていた。これは道尉(どうい)陳宮(ちんきゅう)という者で、中牟県(ちゅうぼうけん)の関門を守備しており、私を曹操と見破って召し捕えたくらいな英傑(えいけつ)ですが、胸中の大志を語り合ってみたところ、時勢に鬱勃(うつぼつ)たる同憂(どうゆう)の士だという事がわかったので、陳宮は官を捨て、私は檻(おり)を破って、共にこれまで携(たずさ)え合(あ)って逃げ走って来たというわけです」 「ああそうですか」 呂伯奢(りょはくしゃ)は跪(ひざまず)いて、改めて陳宮のすがたを拝(はい)し、 「義人(ぎじん)。――どうかこの曹操を扶(たす)けて上げてください。もし貴方(あなた)が見捨てたら曹操の一家一門はことごとく滅んでしまう他はありません」 と、曹操の父の友人というだけに、先輩らしく慇懃(いんぎん)に将来を頼むのであった。 そして呂伯奢(りょはくしゃ)は、いそいそと、 「まあ、御(ご)ゆるりなさい。手前は隣村まで行って、酒を買ってきますから」 と、驢(ろ)に乗って出て行った。 曹操と陳宮は、旅装を解(と)いて、一室で休息していたが、主(あるじ)はなかなか帰って来ない。 そのうちに、夜も初更(しょこう)の頃、どこかで異様な物音がする。耳をすましていると、刀でも磨(と)ぐような鈍(にぶ)い響きが、壁を越えて来るのだった。 「はてな?」 曹操は、疑いの目を光らし、扉(と)を排(はい)して、又耳を欹(そばだ)てていたが、 「そうだ、……やはり刀を磨ぐ音だ。さては、主の呂伯奢は、隣村へ酒を買いに行くなどと言って出て行ったが、県吏に密訴(みっそ)して、おれ達を縛(しば)らせ、朝廷の恩賞にあずかろうという気かもしれん」 呟(つぶや)いていると、暗い厨(くりや)の方で、四、五名の男女の者が口々に――縛れとか、殺せとか――言い交(か)わしているのが、曹操の耳へ、明らかに聞こえて来た。 「さてこそ、われわれを、一室に閉じこめて、危害を加えんとする計(はかりごと)にうたがいなし。。――その分なれば、こっちから斬(き)ッてかかれ」 と、陳宮へも、事の急を告げて、にわかにそこを飛びだし、驚く家族や召使い八名までを、またたく間にみな殺しに斬ってしまった。 そして、曹操が先に、 「いざ逃げん」と、促(うなが)すと、どこかで未(ま)だ、異様な呻(うめ)き声をあげて、ばたばた騒ぐものがある。 厨の外へ出て見ると、生きている猪(いのこ)が、脚(あし)を木に吊(つる)されて、啼(な)いているのだった。 「ア、しまった!」 陳宮は甚(はなは)だ後悔した。 この家の家族たちは、猪を求めて来て、それを料理しようとしていたのだ――と、わかったからである。 四 曹操は、もう闇(やみ)に向かって、急ごうとしていた。 「陳宮。はやく来い」 「はっ」 「何を愚図愚図(ぐずぐず)しているのだ」 「でも……。どうも、気持が悪くてなりません。慚愧(ざんぎ)にたえません」 「なんで」 「無意味な殺生(せっしょう)をしたじゃありませんか。かわいそうに、八人の家族は、われわれの旅情をなぐさめる為(ため)に、わざわざ猪(いのこ)を求めて来て、もてなそうとしていたんです」 「そんな事を悔(く)いて、家の中へ、、掌(て)を合わせていたのか」 「せめて、念仏でも申して、科(とが)なき人たちを殺した罪を、詫(わ)びて行こうと思いまして」 「はははは。武人に似合わんことだ。してしまったものは是非(ぜひ)もない。戦場に立てば何千何万の生霊(せいれい)を、一日で葬(ほうむ)ることさえあるじゃないか。又、我が身だって、何時(いつ)そうされるか知れないのだ」 曹操には、曹操の人生観があり、陳宮には又、陳宮の道徳観がある。 それは違うおのであった。 けれど今は、一蓮托生(いちれんたくしょう)の道づれである。議論していられない。 二人は、闇へ馳(か)けた。 そして、林の中に繋(つな)いでおいた駒(こま)を解き、飛び乗るが早いか、二里あまりも逃げのびて来た。 ――と、彼方(かなた)から、驢(ろ)に二箇(こ)の酒瓶(さけがめ)を結びつけて来る者があった。近づき合うにつれて、ぷーんと芳熟(ほうじゅく)した果物の佳(い)い匂(にお)いが感じられた。腕には、果物の籠(かご)も掛けているのだった。 「おや、お客人ではないか」 それはいま、隣村から帰って来た呂伯奢(りょはくしゃ)であったのである。 曹操は、まずい所で会ったと思ったが、あわてて、 「やあ、御主人か。実は、きょうの昼間、これへ来る途中に寄った茶店に、大事な品を忘れたので、急に思い出して、これから取りに行くところです」 「それなら、家の召使いをやればよいのに」 「いやいや、馬で一鞭(ひとむち)当てれば、造作(ぞうさ)もありませんから」 「では、お早く行っておいでなさい。家の者に、猪(いのこ)を屠(ほふ)って、料理しておくように言っておきましたし、酒もすてきな美酒(びしゅ)をさがして、手に入れて来ましたからね」 「は、は、すぐ戻って来ます」 曹操は、返辞もそこそこと、馬に鞭打って呂伯奢と別れた。 そして、四、五町ほど来たが、急に馬を止め、 「君!」と、陳宮を呼び止め、 「君はしばらく此処(ここ)で待っていてくれないか」 と言い残し、何を思ったか、再び道を引っ返して馳(か)けて行った。 「どこへ行ったのだろう?」と、陳宮は、彼の心を解(と)きかねて、怪しみながら待っていたところ、やがての事曹操は又戻って来て、いかにも心残りを除いて来たように、 「これでいい!さあ行こう。君、今のも殺(や)って来たよ。一突きに刺し殺して来た」 と、言った。 「えっ。呂伯奢を?」 「うん」 「なんで、無益な殺生(せっしょう)をした上にもまた、あんな善人を殺したのです」 「だって、彼が帰って、自分の妻子や雇人が、皆ごろしになったのを知れば、いくら善人でも、われわれを恨(うら)むだろう」 「それは是非(ぜひ)もありますまい」 「県吏に訴(うった)え出られたら、この曹操の一大事だ。背に腹はかえられん」 「でも、罪なき者を殺すのは、人道に反(そむ)くではありませんか」 「否(いな)」 曹操は、詩でも吟(ぎん)じるように、大声で言った。 「我(われ)をして、天下の人に反かしむるとも、天下の人をして、我に反かしむるを休(や)めよ――だ。さあ行こう。先へ急ごう!」 五 ――怖(おそ)るべき人だ。 曹操の一言を聞いて、陳宮はふかく彼の人となりを考え直した。そして心に懼(おそ)れた。 この人も、天下の苦しみを救わんとする者ではない。真に世を憂(うれ)えるのでもない。――天下を奪わんとする野望の士であった。 「……過(あやま)った」 陳宮も、ここに至って、密(ひそ)かに悔(く)いを嚙(か)まずにはいられなかった。 男子の生涯を賭(と)して、道づれとなった事を、早計だったと思い知った。 けれど。 すでにその道は踏み出してしまったのである。官を捨て、妻子を捨てて共に荊棘(けいきょく)の道を覚悟の上で来てしまったのだ。 「悔いも及ばず……」と、彼は心を取り直した。 夜が更(ふ)けると、月が出た。深夜の月明りを頼りに十里も走った。 そして、何処(どこ)か知らぬ、古廟(こびょう)の荒れた門前で、駒(こま)を降りて一休みした。 「陳宮」 「はい」 「君も一寝入(ひとねい)りせんか。夜明けまでには間がある。寝ておかないと、あしたの道に又、疲労するからな」 「寝(やす)みましょう。けれど大事な馬を盗まれるといけませんから、どこか人目につかぬ木陰(こかげ)に繫(つな)いで来ます」 「ムム。そうか。……ああしかし惜しいことをしたなあ」 「何ですか」 「呂伯奢(りょはくしゃ)を殺しに戻ったくせにしてさ、おれとした事が、彼が携(たずさ)えていた美酒と果物を奪って来るのを、すっかり忘れていたよ。やはり幾(いく)らかあわてていたんだな」 「…………」 陳宮んは、それに返辞する勇気もなかった。 馬を隠して、暫(しばら)くの後、又そこへ戻って来てみると、曹操は、古廟(こびょう)の軒下に、月の光を浴びていかにも快(こころよ)げに熟睡していた。 「……なんという大胆不敵な人だろう」 陳宮は、その寝顔を、つくづくと見入りながら、憎みもしたし、感心もした。 憎む方の心は、 (自分は、この人物を買(か)い被(かぶ)った。この人こそ、真に憂国(ゆうこく)の大忠臣だと考えたのだ。ところがなんぞ計(はか)らん、狼虎(ろうこ)にひとしい大野心家に過ぎない) と、思い、又敬服する方の半面では、 (――しかし、野心家であろうと姦雄(かんゆう)であろうと、とにかくこの大胆さと、情熱と、おれを買い被らせた程の弁舌とは、非凡(ひぼん)なものだ。やはり一方の英傑にちがいないなあ……) と、自(ひと)り心のうちで思うのであった。 そして、そう二つに観(み)られる自分の心に質(ただ)して、陳宮は、 「今ならば、睡(ねむ)っている間に、この曹操を刺し殺してしまう事もできるのだ。生かしておいたら、こういう姦雄は、後に必ず天下に禍(わざわい)するだろう。……そうだ、天に代わって、今刺してしまった方がいい」と、考えた。 陳宮は、剣を抜いた。 寝顔をのぞかれているのも知らず、曹操は鼾声(いびき)をかいていた。その顔は実に端麗(たんれい)であった。陳宮は迷った。 「いや、待てよ」 寝込みを殺すのは、武人の本領でない。不義(ふぎ)である。 それに、今のような乱世に、こういう一種の姦雄を地に生まれさせたのも、天に意(こころ)あっての事かもしれない。この人の天寿(てんじゅ)を、寝ている間に奪うことは、かえって天の意に反(そむ)くかもしれない。 「噫(ああ)……。なにを今になって迷うか。おれは又煩悩(ぼんのう)すぎる。月は煌々(こうこう)と冴(さ)えている。そうだ、月でも見ながらおれも寝よう」 思い止(とど)まって、剣をそっと鞘(さや)にもどし、陳宮もやがて同じ廂(ひさし)の下に、丸くなって寝こんだ。
https://w.atwiki.jp/xxxxzzzz/pages/663.html
30 名前:ブーンと曹操[sage] 投稿日:2007/07/13(金) 23 07 10 ID oOaXAyzVO (´・ω・`)「やあ、ようこそバーボンハウスへ。店長のショボンだ」 (´・ω・`)「ここには三国志大戦を筆頭に色々なゲームを置いてるんだ」 (´・ω・`)「楽しそうな顔で入店してくるお客さんの顔を見ることが楽しみでね。それに応えるために色々揃えたんだ」 ウィーン (´・ω・`)「おっと、誰か入店したみたいだね。どんな顔して来てくれたのかな?」 (ヽ´ω`) (´・ω・`)「……………」 ( ´)彡 ( ´)「いやいや、あんな負のオーラ振り撒いて入ってくるわけないじゃないか。見間違いだよね、うん」 (´・ω・`)彡 31 名前:ブーンと曹操[sage] 投稿日:2007/07/13(金) 23 08 47 ID oOaXAyzVO (ヽ´ω`) (;´・ω・`)「見間違いじゃない!じゃあなんだあれは!ハッ!もしかして大戦のせいで出た三国時代の亡霊!?」 (ヽ´ω`)「て……てんちょ」 (´゚ω゚`)「ゴメンナサイゴメンサイ!人の生死を扱うもので商売にしてスミマセン!」 (ヽ´ω`)「……店長?」 32 名前:ブーンと曹操[sage] 投稿日:2007/07/13(金) 23 10 20 ID oOaXAyzVO (´゚ω゚`)「でも人気あるから撤去できないしどうかお許し」 (´・ω・`)「ってその声はブーン君かい?」 (ヽ´ω`)「お。やっと正気に戻ったお」 (;´・ω・`)「というかそのやつれようはなんだい?なんかあった?」 (ヽ´ω`)「うう……曹操が…曹操が……」 (´・ω・`)「曹操?ああ成程。ver.upでの魏武曹操の弱体化にショックを受けてるんだね」 (ヽ´ω`)「そうだお。いくらなんでも30Cは無いと思うお」 (´・ω・`)「まあ流石のSSQといったところか」 (ヽ´ω`)「もうこうなったら魏武を諦めるしかないお」 33 名前:ブーンと曹操[sage] 投稿日:2007/07/13(金) 23 14 14 ID oOaXAyzVO (´・ω・`)「えっ?やめちゃうのかい?」 (ヽ´ω`)「使い物にならないのに使ってられないお」 (´・ω・`)「……………」 (ヽ゚ω゚)「そうだお。今名君がかなり強いらしいお。いっそ呉に移るお。フヒヒヒヒヒ」 (´・ω・`)「………ブーン君」 (ヽ゚ω゚)「フヒヒヒ…ってなんだお店長。今デッキ考えるのに忙しいお」 (´・ω・`)「君は本当にそれでいいのかい?」 (ヽ゚ω゚)「なにがだお?デッキをかえちゃいけないのかお?」 (´・ω・`)「そうじゃないさ。verに会わせてデッキを変えるのは当然のことだよ」 34 名前:ブーンと曹操[sage] 投稿日:2007/07/13(金) 23 17 32 ID oOaXAyzVO (ヽ゚ω゚)「じゃあべつにいいお!」 (´・ω・`)「うん。ただねそういう考え方で楽しめるのかなってね」 (ヽ^ω^)「お?」 (´・ω・`)「確かにこういうゲームだからやるからには勝ちたいだろう。でも僕はそれ以上に楽しんで欲しいんだ」 (´・ω・`)「僕も一時期強さだけを求めてた事があってね。でもやっぱり何か物足りなかったんだ」 ( ^ω^)「……………」 (´・ω・`)「僕は君達に教えて貰ったんだよ。大事なのは楽しむ事だとね」 36 名前:ブーンと曹操[sage] 投稿日:2007/07/13(金) 23 22 56 ID oOaXAyzVO (´・ω・`)「もちろんデッキを変えたり流行りカードのを使っちゃいけないわけじゃない」 (´・ω・`)「要は気持ちの持ち方だね。弱くなったからポイって考えだと楽しめないと思ったんだ」 ( ^ω^)「店長……僕が間違ってたお。やっぱり今まで一緒に戦った曹操を捨てられないお」 (´・ω・`)「こちらこそ説教臭くなってすまなかった。一プレイヤーの戯言だと思ってくれ」 ( ^ω^)「そんなことないお。店長は色々気付かせてくれたお」 (´・ω・`)「それはよかった。じゃあ楽しんで行ってね」 ( ^ω^)「わかったお」 37 名前:ブーンと曹操[sage] 投稿日:2007/07/13(金) 23 25 33 ID oOaXAyzVO (´・ω・`)「ふう……なんとか考え直してくれてよかった。しかし……」 (´・ω・`)「ブーン君達は定期的に誰かがこんな状態になるね。仕様かn」 ( A`)「う~ら~め~し~や~……」 (´゚ω゚`)「ギャアアアアァァァァ!!!!!!」 (; A`)「うぉ、ちょっと驚かそうと思っただけなのに……走り去るほどって………」 ―終― 39 名前:あとがき[sage] 投稿日:2007/07/13(金) 23 32 38 ID oOaXAyzVO こんな話書いたわけですが別に魏武推奨ってわけじゃないです まあ繋ぎになるかなと書いた程度なんで気にせずいろんなデッキを使わせてやってください
https://w.atwiki.jp/genso3594/pages/54.html
呂布(りょふ) 字は奉先(ほうせん) (?-198) 後漢を代表する将で、勇名と悪名を持った武将である。 弓馬の術に優れ、抜群の腕力もあったので、前漢時代の名将である李広(弓術が抜群に優れていた武将)になぞらえて「飛将」と呼ばれたという。 最初、丁原(ていげん)に仕え親愛されていた。 丁原自身も性格が粗野で巧みだった為、呂布とは似た者同士、という訳である。 霊帝が崩御すると、丁原は呂布と共に軍勢を引きいて洛陽に上京したが、大将軍誅殺・宦官大虐殺の混乱後に、董卓も帝を連れて洛陽に入った。 そこで董卓は帝の廃位を画策し、丁原が持つ多大な軍隊に目を付け、呂布を誘って丁原を殺害させた。 呂布が首を持ってくると役職につかせ、父子の契りを結んでいる。 『演義』では、丁原とも義理の親子関係になっており、より呂布の悪役ぶりが目立つ。 この時に董卓が呂布を釣った餌が赤兎馬。 これは『正史』に「呂布はいつも赤兎という名馬で戦場を疾駆した」とあり、そこからとったものだろう。 呂布は董卓の下で着実に昇進し、董卓のボディーガードをしていた。 しかし、董卓は短気で、些細なことがきっかけで小さな戟を抜いて呂布に打ちかかったことがあった。 幸い呂布は身をかわし、董卓もすぐに謝ったので、その場は収まったが、呂布は内心で董卓を恨むようになった。 また、呂布は董卓の侍女と密通しており、事が露見するのをいつも恐れていた。 これが『演義』においての貂蝉誕生のエピソードになった(詳しくは貂蝉の項)。 司徒の王允は呂布と同郷であったことから親しく付き合っていたが、呂布が董卓の怒りに触れ殺されかけた件を話すと、王允は董卓暗殺計画を持ち出し、呂布を誘った。 最初「親子の間柄だから」と断ったが、「あなたの姓は呂であり、董卓とは血縁関係にない。今は自分の命が危ないのでは」と促すと、呂布は決意して、董卓を殺害した。 董卓の死によって長安は民衆の歓呼の声で溢れ、呂布は英雄となった。 王允は呂布を将軍に昇進させ、一緒に朝廷の政治も執り行った。 しかし、その平穏も2ヶ月で終わることとなる。 呂布と王允は董卓の残党勢力を処罰しようとしたが、それに団結した勢力が大軍を率いて長安を襲撃し陥落させた。 王允は処刑され、呂布は袁術の下に逃亡することとなる。 何故袁術の下かというと、袁術の仇である董卓を殺害したから袁術は自分を受け入れてくれるだろうと思ってのことだったが、しかし、袁術は呂布の無節操を憎み、呂布を拒否したのだった。 仕方なく呂布は袁紹の下に身を寄せ活躍したが、次第に傲慢になり、兵力の増強を望んだり、兵士が略奪を行ったりしたので、袁紹は呂布を疎んじるようになる。 呂布はこのことに気がつき暇乞いを申し出たが、袁紹は報復を恐れて刺客を派遣し、呂布を暗殺しようとした。 しかし、失敗して呂布は陳留太守の張邈へ立ち寄った後、河内の張楊の下に逃亡した。 この張邈のところへ立ち寄ったことが袁紹の耳に届くと、大層悔しがったという。 それを聞いた張邈は、袁紹の報復を恐れて、味方である(袁紹と付き合いがあった)曹操までも疑うようになる。 194年、曹操が2度目の陶謙討伐に赴くと、曹操配下の将軍・陳宮・張邈の弟らが反乱。張邈は陳宮に言いくるめられて呂布に兵を貸し、呂布を兗州牧に迎え入れたのである。 州内の郡県のほとんど(3県以外)は呂布に呼応し、呂布は濮陽に立てこもって引き返してきた曹操軍と対峙した。 それは100日以上続いたが、日照りとイナゴの被害で食糧危機に陥り、人間同士が食らい合う様だったという。 結果、呂布は一度逃れる。 翌年に呂布は一都市を落としたが、別の場所で曹操軍に敗北。 呂布は陳宮と共に一万余の軍勢を率いて曹操に攻撃を仕掛けたが、曹操は予め伏兵を仕掛け奇襲させたので、呂布は散々に撃ち破られ闘争。 こうして曹操は兗州を奪還し、逃亡した呂布は劉備を頼った。 呂布は受け入れてくれた劉備に敬意を表したが、劉備を「弟」と呼ぶなど馴れ馴れしく、劉備にしてみれば内心不愉快だった。 そんな中、劉備が袁術と交戦中に呂布は張飛がいた城を奪い取り、劉備の妻子を捕虜にしている。 『英雄記』によると、そこには袁術から米20万石を与える、という裏取引があったとされる。 また、別の一説として、張飛と共に城を守っていた元陶謙の配下が裏切って呂布を迎え入れたというのもある。 結局、呂布と劉備は和解。呂布は人質を解放した。 やがて袁術が劉備を攻撃。劉備は呂布に救援を求めると、呂布はそこで仲裁に駆けつけた。 陣営の門の中に一本の戟を掲げ、「今から戟先を射るから、もし一発で命中したら、天の声だと思って戦いを止めるよう。命中しなければ、戦いを続けるがよい」と言い、戟に矢を一発で見事命中させた。 そして、両軍は宴会を催して引き揚げている。 袁術は再び呂布と手を結ぼうと考え、呂布の娘と自分の息子を縁組みさせようとした。 呂布も最初は承知したが、国家の憂いになると判断した陳珪は「帝を迎えている曹操と結ぶべき。勝手に帝を名乗る袁術と同盟すれば、天下から不義の汚名を着せられるでしょう」と呂布を説得した。 結局、婚約を破棄し袁術の使者を捕らえ、曹操の下に送り、使者は打ち首となった。 呂布は陳珪の子を曹操への使者として送っているが、曹操は「呂布は野蛮な心を持つ狼の子。いつまでも配下にいる訳がない」と語り、内密に呂布を滅ぼすよう命じている。 一方、約束を破られた袁術は激怒して連合軍を作って呂布を攻撃したが、陳珪の計略で内通者を出させ、連合軍は大敗となった。 198年、呂布は袁術と結び、曹操に反旗を翻す。劉備を攻撃して敗走させた。 劉備が曹操の下に逃げたことで、曹操自ら呂布討伐にあたることとなる。 最初、曹操は呂布に降伏を勧め呂布もその気でいたが、配下の陳宮に反対されて降伏するのを止めた。 呂布は袁術に救援を求める一方で、自ら出陣して曹操と戦ったが敗れて城に戻って篭城することとなった。 だが、この頃の呂布は無計画で猜疑心が強く、せっかく陳宮が献策しても妻の意見で計画を中止したりしたので、部下達は次第に呂布から離れていった。 呂布配下の将軍らは陳宮を縛り上げて降伏。 呂布もまた包囲が厳しくなると城を出て降伏し、生け捕りにされた。 呂布が「縄目がきつすぎる。少し緩めてはくれないか」と言ったが、曹操は「虎を縛るのだから、緩める訳にはいかない」と答えた。 更に「あなたが歩兵を率い、自分が騎兵を率いれば天下は簡単に平定できよう」と曹操に持ちかけた。 才能を重んじる曹操は心が揺れたが、劉備が「よもや丁原、董卓が裏切られて殺されたことをお忘れか」と問いただしたのに対して曹操はやむなく頷く。 呂布は劉備を指さし、「こやつこそ信用できない一番のくわせ者だぞ」と罵った。 最期は、首を締められ殺された。 裏切りを裏切りだと思わない部分がある。それは悪意があってのものではなく、その場を生き抜く為のものであると自然に行った行動なのだろう。 劉備に対する最後の言葉は、劉備の腹黒さを見抜いている。その劉備もこの後、呂布と同じように君主の元をさ迷い歩き続けていく。 子供のような部分を持ちつつも、生きることに執着し乱世を渡り歩いたが、こういう生き方の末路は哀れなものしかない。 そういう部分で「武に生きる」という呂布の美化された生き様に繋がっていくのだろうか。 ゲームでは最高の武力を誇り、また最低の義理値を持っている為に、敵にすると恐ろしく、味方にしたら忠誠度が100になっても裏切るんじゃないかと不安になる武将である。 ただ、味方として戦いに出せば無類の強さを誇る。 肥が特別補正を施している事実は公然の秘密。 でも、やっぱり裏切りは怖い。 最後に『正史』著者である陳寿の言葉を載せておく。 「呂布は吠え猛る虎の如き勇猛を持ちながら、英雄の才略なく、軽佻にして狡猾、裏切りを繰り返し、眼中にあるのは利益だけだった。古から今に至るまで、こうした種類の人間は破滅しなかったためしはない」
https://w.atwiki.jp/ng3ggc/pages/2756.html
名稱:荀彧 伺服器及顏色:5、6服紫類型:文 性別:男 生命值:3213 武力:67 智力:84 防禦:36 敏捷:72 運勢:169 敘述:荀彧初為袁紹手下,因見其難成大事,遂攜其侄荀攸投奔曹操,被曹操重用,稱為“吾之子房也”。荀彧為曹操出過很多重要的戰略謀劃,如以兗州為基地、 二虎競食和驅虎吞狼、迎漢獻帝往許都、開玄武湖練水軍等等,立有大功。官渡之戰籌劃糧草供給及回信堅定了曹操的意誌,最後得已擊敗袁紹統一中原,這都是荀 彧的計劃。荀彧因病留於壽春,不久在曹操的暗示下服毒自殺。
https://w.atwiki.jp/sangokumusou/pages/22.html
184年黄巾の乱 そのころの劉備・・・・・・劉備琢県の承認からお金を借りて関羽、張飛、簡擁らと義勇軍として参加。 そのころの曹操・・・・・・曹操の御爺さんは元中常時だったので昔騎都尉等の官職についていた。黄巾の乱がはじまると袁紹らと同時期に洛陽に召集される。この乱で曹操は車騎将軍の皇甫嵩が頴川に近い長社で黄巾軍に包囲される。だが騎兵を率いていた曹操が敵の本拠を奇襲したことで黄巾の大群は大きなダメージを受けた。 そのころの孫堅・・・・・・会稽で起こった宗教のクーデターを鎮圧した経歴があったので朱シュンによって前線の指揮官に抜擢された。孫堅は期待にこたえて黄巾軍をつき次ぎ破りますます名声を上げた 他にも色々な人物がいたが一番出遅れたのは劉備だろう。庶民なのだから正規軍の曹操と見劣りするのは当たり前なのだがそれでも手柄を立てている その後も色々な武将に色々な拠点を落とされ教祖張角、張梁、張宝も討たれ一応反乱は鎮圧したがこの戦いで力を使い切ってしまった漢帝国は滅亡の一途をたどるのであった